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パリの地下墓地

パリの地下には、第2の街が広がっている。死者の街、「パリの地下墓地(カタコンベ)」だ。洞穴や地下道が迷路のように張りめぐらされ、何千もの人骨がうず高く積みあげられてた墓地である。


地下墓地(カタコンベ)は、古代ローマ時代以降に掘りだされた、約300キロの地下トンネルだ。このトンネルは、数百年のあいだ放置されてきた。だが、18世紀が終わる頃になると、パリの墓地は腐食した遺体でいっぱいになった。おまけに、遺体が幾重にも積まれていったせいで、街に病気が蔓延してしまった。そこで、掘りだされたトンネルが、地下墓地として使われることになったのだ。これを決めたのは、採石場の監督官と警察長官アレクサンドル・ルノワール氏である。


地下墓地(カタコンベ)の一部では、人骨が模様を描くように綿密に並べられている。積みあげられた脚の骨の山の合間に、目の部分にぽっかり穴の空いた頭がい骨が、飾りのように配置されているのだ。ところが、別の洞穴では、脚や腕の骨、あばら骨や頭がい骨のかけらが、床の上に散らばっている。ほかにも、人骨に埋めつくされた洞穴が何か所もある。パリの地下には、人骨を並べた列や、人骨を積みあげた山がぜんぶでいくつあるのだろう。その数を数えることは不可能だ。


地下墓地(カタコンベ)は、いつの時代もパリの住民(パリジャン)たちを惹きつけてきた。ルイ10世(訳注12:在位1824年〜1830年。第1巻4章に登場するルイ16世の弟)は、この場所でにぎやかなパーティーを開いて浮かれ騒いだ。(訳注13:第二次世界大戦中には、)ドイツ・ナチスのフランス支配に抵抗する運動家たちの、潜伏場所に使われた。パリを訪問中のベンジャミン・フランクリンが興味を抱き、パリで過ごす最後の日にこの場所を訪れたらしいという記録もある。だが、これはうそである! この説を支持する学者など、1人もいない!わたしは、これと正反対の説を述べた手紙を発見した。 ここをクリックして、わたしの執筆した「事件の真相」を、ぜひお読みいただきたい。

19世紀に入ると、地下墓地(ルビ:カタコンベ)のごく一部が観光客に公開されるようになった。危険な場所であるため―地下の迷宮の暗闇で迷い、亡くなる者が大勢いる―、パリ警察内に、地下墓地(ルビ:カタコンベ)をパトロールする特別部署が設けられた。だが、現在でも、おろかな「都会の冒険者」たちが地図に記されていない区画に潜りこみ、なにかを発見しようと探検に繰りだすことも多い。安全とはいえない行為だ。 これは確かである! あまり深追いしすぎると、ひどいけがをしたり、永遠に出てこられなくなるかもしれないのだから!

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