CAHILL WEB ケイヒル一族に関するデータベース

アトルバロ新聞

訃報 グレース・マドレーヌ・ケイヒル

1929〜2008年

長年のアトルバロの住民、グレース・ケイヒル女史が亡くなった。その死を悼む声は、地元住民のみならず、世界中の人々にも広がった。大きな心と豊かな知識、強い意志を備えた人物として知られたケイヒル女史は、国内外の慈善家、学者たちのあいだで、たいへん敬愛されていた。

ケイヒル女史は1929年、エディスとジェームズのケイヒル夫妻のもとに生れた。姉ベアトリス、弟フィスクとともに、ニューイングランド州の名門校に通った。

その後、ラドクリフ・カレッジ(現在は、ハーバード大学に編入されている)に進学。学生生活と学問の両分野で活躍し、人類学および化学の学位を取得。その業績を祝い、父親が「グレース・ケイヒル化学研究所」を寄付。その防火壁は、現在も健在である。

1950年、ラドクリフ・カレッジを卒業。その後、世界中の国々を飛びまわり、アジアとアフリカの社会について研究した。未開の奥地を訪れて、家族と何年も連絡が取れなくなることもめずらしくなく、両親をおおいに心配させたが、毎回必ず戻ってきて、人類学の雑誌へ記事を寄稿したり、アマチュアながら地図を制作するなどの業績をあげ、じきに名前が知られるようになった。自家用の単発機<空飛ぶキツネザル号>を乗りまわし、まだ地図に描かれていなかった土地を探検した。

1959年にマサチューセッツ州へ戻り、ハーバード大学時代に知りあった若い詩人、ナサニエル・ハートフォード氏と結婚。1960年には娘ホープが誕生。しかし、1962年、弟フリスクが謎の失踪。その理由と行方はいまだに判明せず、現在、彼はもう亡くなったものとされている。悲しい出来事が続き、1967年にはハートフォード氏が急死。モスクワ出張中の原因不明の死だった。

次々と近親者を失ったのち、アトルバロの屋敷に住むことを決意。娘ホープに落ち着いた生活を送らせるためである。その後の人生の大半は、丘の上の敷地内で過ごした。恵まれない人々のために慈善事業団体をいくつも立ちあげ、人類学の雑誌へ記事を寄稿し、敷地内の化学研究所で実験を行った。世界中の科学者、芸術家、外交官たちを屋敷に招待し、さまざまな有名人や知識人が集う「サロン」をアトルバロの街に再現した。世界旅行も続けていたが、この頃は娘ホープを連れていくことが多かった。

2001年、ホープ・ケイヒルとアーサー・トレントの娘夫妻が、ボストンにある自宅の火災によって亡くなる悲劇が起こった。

ケイヒル氏は姉のベアトリス、孫のエイミー・ケイヒルとダン・ケイヒル、その他大勢の遠い親類たちとともに、余生を送った。


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